ホテルフロントとアネックスプラザに高田博厚彫刻プロムナードがあります。高田先生は戦前から戦後にかけて、パリに留まり創作活動を続けていました。特に芸術家や思想家との交流が深く、彼らを対象とした作品は数多く「高田の作品は人間の内面描写がすばらしい」と評価されていました。














Femme en robe 1979
1900年 | 石川県能登の七尾に生まれる |
---|---|
1912年 | クリスチャンの母親とともに幼児期より教会に通い、この年洗礼を受ける |
1918年 | 福井中学校を卒業、東京に出る。独り絵を描き始め高村光太郎、岸田劉生と相識る |
1921年 | 東京外語学校を中退「ミケランジェロの書簡」を訳出、「白樺」に連載 |
1927年 | 高村光太郎に促され、武者小路実篤主唱の大調和展に作品十数点をはじめて発表。 ロマン・ロラン「ヘンデル」訳、刊行 |
1929年 | 梅原竜三郎主唱の国展に高村光太郎とともに参加 |
1931年 | 渡仏、ロマン・ロランを訪ねる。のちロランに招かれ、 滞在中のマハトマ・ガンジーを素描する |
1944年 | ベルリンで終戦を迎える。日本送還の道を選ばず、単身フランスに向かう。 |
1948年 | カンヌ映画祭の日本代表となる |
1957年 | 帰国。東京にアトリエを構え制作を始める。 新制作協会会員、日本美術家連盟委員、日本ペンクラブ理事、 東京藝術大学講師等をつとめるが、徐々に引退し制作に専念する |
1966年 | 大野常子と結婚、鎌倉にアトリエを定める |
1973年 | 常子夫人を伴い三島を訪れる |
1985年 | 「高田博厚著作集」全四巻刊行。 東京にて「パリ・マイヨル美術館収蔵記念高田博厚展」開催、全国巡回展始まる |
1987年 | 鎌倉にて死去。享年87歳、鎌倉霊園に眠る |
1991年 | みしまプラザホテル「ギャラリープラザ」にて回顧展を開催 |
1992年 | みしまプラザホテルに「高田博厚アートプロムナード」常設 |